2016年03月22日
四万十川放浪記♪ 沈下橋編
皆さん、彼岸はお墓参りしましたか?
私は久しぶりに彼岸と言う日に里に帰ってきました。
前回帰ったのは2012年の夏と冬です。
夏は嫁と一緒にキャンプがてら帰ったのですが、冬は叔父の葬式でした。
今回の目的は2つありました。
その一つはもちろんお墓参りです。
親父の出身地、四万十町(旧十和村)小野から実家の半家、中村まで
数か所の墓に参ってきました。
もう一つは以前から通ってみたかった黒尊スーパー林道です。
その記事は後にするとして、墓参りに縦断した四万十川の沈下橋を紹介します。
親父の生まれ故郷、四万十町小野にも沈下橋がありました。
しかし、洪水でも水に浸からない橋が出来たので取り壊してしまいました。
四万十の沈下橋で取り壊されたのは、私の知る限り3つあります。
その二つが小野と十川(四万十町)に掛かっていた橋です。
四万十川と言えば結構な長さがありますが高低差が無いのはあまり知られていません。
そして、その高低差の少ない川の沈下橋で急流?に掛かっている数少ない橋が写真の
半家の沈下橋です。
沈下橋の生い立ち?にも色々あるようですが、この半家の沈下橋が出来た理由は鉄道です。
縦の矢印の場所に生コン用のプラントが立っていました。
そして横の矢印のところからミキサー車に積み込み、写真を撮っている方に渡って鉄道の建設
を行っていました。
写真を撮っている方には半家天満宮があり、その横に鉄道建設に従事していた作業員の飯場
が建っていました。
昔の飯場(宿舎)は家族も一緒に住んでいることが多く、私の同級生もいて一緒に学校に
行ったり飯場近くで遊んだりしていました。
その他の沈下橋は主に生活道路として建設されていたので、この半家の沈下橋は珍しい?
生い立ちの橋と言えるのではないでしょうか?
この橋の3kmほど下流に中半家の沈下橋が掛かっておりますが、私が小学校高学年
まではその橋はありませんでした。
小学校に通うのは中半家の沈下橋の下流側の流れの緩い場所に渡し船がありました。
この渡し船は両岸に渡したワイヤーロープに滑車で船を繋ぎ、向こう岸にある船でも紐を
引っ張れば此方側に来るので便利でした。
もちろん増水した時には小学生では向こう岸に行けず、大声で人を呼ぶか見つけた大人が
引っ張ってくれるというワイルドな渡し船でしたね~(笑
そして渇水期の冬になると、渡し船ではなく孟宗竹に板を括り付けた簡易橋が
架けられていました
想像できるでしょうか?これもワイヤーロープを利用していました。
竹の浮力を利用した橋だったですが、走ると上下動が凄く良く怒られてました。
今あったなら、絶対有名になって観光客が押し寄せる事間違いなしですが
四万十市のホームページが四万十の沈下橋を紹介しています。
私は久しぶりに彼岸と言う日に里に帰ってきました。
前回帰ったのは2012年の夏と冬です。
夏は嫁と一緒にキャンプがてら帰ったのですが、冬は叔父の葬式でした。
今回の目的は2つありました。
その一つはもちろんお墓参りです。
親父の出身地、四万十町(旧十和村)小野から実家の半家、中村まで
数か所の墓に参ってきました。
もう一つは以前から通ってみたかった黒尊スーパー林道です。
その記事は後にするとして、墓参りに縦断した四万十川の沈下橋を紹介します。
親父の生まれ故郷、四万十町小野にも沈下橋がありました。
しかし、洪水でも水に浸からない橋が出来たので取り壊してしまいました。
四万十の沈下橋で取り壊されたのは、私の知る限り3つあります。
その二つが小野と十川(四万十町)に掛かっていた橋です。
四万十川と言えば結構な長さがありますが高低差が無いのはあまり知られていません。
そして、その高低差の少ない川の沈下橋で急流?に掛かっている数少ない橋が写真の
半家の沈下橋です。
沈下橋の生い立ち?にも色々あるようですが、この半家の沈下橋が出来た理由は鉄道です。
縦の矢印の場所に生コン用のプラントが立っていました。
そして横の矢印のところからミキサー車に積み込み、写真を撮っている方に渡って鉄道の建設
を行っていました。
写真を撮っている方には半家天満宮があり、その横に鉄道建設に従事していた作業員の飯場
が建っていました。
昔の飯場(宿舎)は家族も一緒に住んでいることが多く、私の同級生もいて一緒に学校に
行ったり飯場近くで遊んだりしていました。
その他の沈下橋は主に生活道路として建設されていたので、この半家の沈下橋は珍しい?
生い立ちの橋と言えるのではないでしょうか?
この橋の3kmほど下流に中半家の沈下橋が掛かっておりますが、私が小学校高学年
まではその橋はありませんでした。
小学校に通うのは中半家の沈下橋の下流側の流れの緩い場所に渡し船がありました。
この渡し船は両岸に渡したワイヤーロープに滑車で船を繋ぎ、向こう岸にある船でも紐を
引っ張れば此方側に来るので便利でした。
もちろん増水した時には小学生では向こう岸に行けず、大声で人を呼ぶか見つけた大人が
引っ張ってくれるというワイルドな渡し船でしたね~(笑
そして渇水期の冬になると、渡し船ではなく孟宗竹に板を括り付けた簡易橋が
架けられていました
想像できるでしょうか?これもワイヤーロープを利用していました。
竹の浮力を利用した橋だったですが、走ると上下動が凄く良く怒られてました。
今あったなら、絶対有名になって観光客が押し寄せる事間違いなしですが
四万十市のホームページが四万十の沈下橋を紹介しています。
半家の沈下橋の下流には長生の沈下橋があります。
写真は撮っていませんがこの橋は立地条件?が悪い場所に掛かっています。
地元の漁師さんの話では洪水の時に渦が巻き、橋をした方向から持ち上げるのだそうです
そう、沈下橋は上を流れる水の水圧で押さえつけられ流れない構造なので、渦巻いた水が床坂を
押し上げると万事休す!・・・・と言う訳です。
最近の洪水でも床板が流されて新たに掛けなおしております。
私がテントを張っていたカヌー館の前に掛かっている橋の上から撮影した江川崎です。
ここにも沈下橋が掛かっていました。
黄色い横線の場所にありました。
そして黄色い矢印の場所に中学校があったんです。
右側の赤い矢印の建物は星羅四万十と言うホテル(の筈?)です。
そして奥の青い矢印の山の向こう側に私の実家がありました。
半家の沈下橋を回って中学校に行くと14から15Kmあるでしょうか?
私が一年生の時には兄から貰ったヤマハミニトレGT50に乗って長生まで行き、そこから
自転に乗り換えて通学してました。
とても懐かしい思い出です♪・・・・・とりあえず時効と言う事で
次は四万十川の一番下流の沈下橋、佐田の沈下橋です。
良くテレビで紹介されるので知っている方も多いじゃないかと思います。
この日も観光客が結構来てました。
もちろん下流に掛かっている橋なので、沈下橋の中では一番長い橋になります。
その少し上流に掛かっているのが三里沈下橋です。
佐田の沈下橋もそうですが、この辺りは柱が丸い鋼管なのが特徴です。
もう少し上流にある高瀬沈下橋です。
結構近い場所に連続して沈下橋があります。
川向うには道路が無く、橋を架ける方が簡単だったのだと思います。
そして勝間橋です。
この橋が旧中村市の最上流の沈下橋になります。
そしてこの橋の橋脚も丸い鋼管で出来ています。
ここから上流に掛かっている(いた!も含め)橋の橋脚はコンクリート製の平たい橋脚と
なり、行政で設計が違うのは面白いですね~
勝間橋から上流には口屋内まで沈下橋がありません。
有ったかもしれませんが私の記憶には残ってません
口屋内の沈下橋が見えてきました。
この口屋内は沈下橋の他に鉄製の橋が道路の上に掛かっています。
そして相当古いです!
沈下橋があるのになぜ?・・・・そう、ここ口屋内が今回の帰省の目的の一つ、黒尊スーパー林道
の入り口?なんです。
黒尊スーパー林道は何の目的で作られたのか? それは国有林から材木を運び出すためです。
その拠点となる奥屋内に地区に、物資の輸送等が洪水で遮断されるのを防ぐために
鉄製の沈下しない橋を架けました・・・・・と思います
口屋内から江川崎までにドラマや旅番組などで有名になった岩間の沈下橋がありますが、
今回は素通りしてしまいました。
現在の四万十町昭和に掛かっている沈下橋の中州にはキャンプ場もあります。
その上流にも沈下橋があります。
皆さんも四万十川を訪れるようなことがありましたら、すべての沈下橋を渡ってみたら
違いが分かるのでは?と思います。
夏の四万十も良いですが季節季節で色んな顔をのぞかせる四万十川!
わが故郷の四万十川は、老後を送りたいと思わせる憩いの地ですね~♪
と言う事で、四万十川放浪記?の沈下橋編でした。
写真は撮っていませんがこの橋は立地条件?が悪い場所に掛かっています。
地元の漁師さんの話では洪水の時に渦が巻き、橋をした方向から持ち上げるのだそうです
そう、沈下橋は上を流れる水の水圧で押さえつけられ流れない構造なので、渦巻いた水が床坂を
押し上げると万事休す!・・・・と言う訳です。
最近の洪水でも床板が流されて新たに掛けなおしております。
私がテントを張っていたカヌー館の前に掛かっている橋の上から撮影した江川崎です。
ここにも沈下橋が掛かっていました。
黄色い横線の場所にありました。
そして黄色い矢印の場所に中学校があったんです。
右側の赤い矢印の建物は星羅四万十と言うホテル(の筈?)です。
そして奥の青い矢印の山の向こう側に私の実家がありました。
半家の沈下橋を回って中学校に行くと14から15Kmあるでしょうか?
私が一年生の時には兄から貰ったヤマハミニトレGT50に乗って長生まで行き、そこから
自転に乗り換えて通学してました。
とても懐かしい思い出です♪・・・・・とりあえず時効と言う事で
次は四万十川の一番下流の沈下橋、佐田の沈下橋です。
良くテレビで紹介されるので知っている方も多いじゃないかと思います。
この日も観光客が結構来てました。
もちろん下流に掛かっている橋なので、沈下橋の中では一番長い橋になります。
その少し上流に掛かっているのが三里沈下橋です。
佐田の沈下橋もそうですが、この辺りは柱が丸い鋼管なのが特徴です。
もう少し上流にある高瀬沈下橋です。
結構近い場所に連続して沈下橋があります。
川向うには道路が無く、橋を架ける方が簡単だったのだと思います。
そして勝間橋です。
この橋が旧中村市の最上流の沈下橋になります。
そしてこの橋の橋脚も丸い鋼管で出来ています。
ここから上流に掛かっている(いた!も含め)橋の橋脚はコンクリート製の平たい橋脚と
なり、行政で設計が違うのは面白いですね~
勝間橋から上流には口屋内まで沈下橋がありません。
有ったかもしれませんが私の記憶には残ってません
口屋内の沈下橋が見えてきました。
この口屋内は沈下橋の他に鉄製の橋が道路の上に掛かっています。
そして相当古いです!
沈下橋があるのになぜ?・・・・そう、ここ口屋内が今回の帰省の目的の一つ、黒尊スーパー林道
の入り口?なんです。
黒尊スーパー林道は何の目的で作られたのか? それは国有林から材木を運び出すためです。
その拠点となる奥屋内に地区に、物資の輸送等が洪水で遮断されるのを防ぐために
鉄製の沈下しない橋を架けました・・・・・と思います
口屋内から江川崎までにドラマや旅番組などで有名になった岩間の沈下橋がありますが、
今回は素通りしてしまいました。
現在の四万十町昭和に掛かっている沈下橋の中州にはキャンプ場もあります。
その上流にも沈下橋があります。
皆さんも四万十川を訪れるようなことがありましたら、すべての沈下橋を渡ってみたら
違いが分かるのでは?と思います。
夏の四万十も良いですが季節季節で色んな顔をのぞかせる四万十川!
わが故郷の四万十川は、老後を送りたいと思わせる憩いの地ですね~♪
と言う事で、四万十川放浪記?の沈下橋編でした。
この記事へのコメント
たくさん沈下橋がかかっているのですね!
四国には2回くらいしか行ったことがありません(^_^;)
四万十行ってみたいです♪
四国には2回くらいしか行ったことがありません(^_^;)
四万十行ってみたいです♪
Posted by にゃり at 2016年03月23日 22:52
◎ にゃりさん
生活のための重要な橋なんです。
でも、台風や長雨で結構通行できなくなるんですよ~
そのために学校行けない!
って事もしばしば^^;
四万十でアカメ釣ってきてください♪
生活のための重要な橋なんです。
でも、台風や長雨で結構通行できなくなるんですよ~
そのために学校行けない!
って事もしばしば^^;
四万十でアカメ釣ってきてください♪
Posted by ロミ at 2016年03月24日 07:22